たまには思い出話でも・・・
ということで私が保育科の短期大学に通っていた頃の話です。
な〜〜んの教訓もないお話ですので、暇つぶしに見てね☆
※今回はちょっとスピリチュアルなお話です。苦手な方は読まないでね。
半年で退学届?! 最終話
1月・・・
「1月になったら保育士に本当になりたいと思える出来事がある」
ただそれを言われただけでは半信半疑だったと思うのですが、実際に悩んでいたことを言い当てられたり、信頼し合える友人を引き合わせてもらったりしたので心から信じていました。
1月・・・
人生が変わるような出会いがあり・・・
交換留学生に選ばれて海外の保育を知り、
保育観が変わり・・・
いきなり保育園をプレゼントされ!!
なーーーんて妄想は尽きませんでした。
そして起こった出来事
妄想をしている間はとてもわくわく夢をみていましたが・・・
実際は、
気分の悪い日が続き、病院へ行っても薬を飲んでも治らず。
体調不良の日々が続きました。
処方された薬を飲んでも余計に吐き気が増し辛い毎日。
ちょうど冬休みだったので通学には差し支えませんでしたが、友人にも会えずほぼ寝たきりで過ごしました。
このとき実は、妊娠していたのです。
そう決めるまでの状況は割愛しますが、止むを得ない理由があり中絶を選びました。
そのときがちょうど新年を迎えた頃。
中絶を決意したとはいえ、手術を受けることができるのは、お正月明けということでその日まで1週間以上ありました。
つわりがあったところに風邪薬など多用したことで、吐き気が尋常でなく、それはまるでお腹の中の子がその存在を主張しているかのようでした。
何度も嘔吐しながら、学校の課題である人形を作っていました。
自分の子は犠牲にして、この人形は一体誰のためにつくっているんだろう。
答えの出ないことを取り止めもなく延々と考えました。
手術が終わり目が覚めた後、あれほどに酷かった吐き気が微塵もないことに気づき、「いなくなったんだなあ・・・」とぼんやり思いました。病室の外から学校帰りの子どもの声が響きました。
自分がしたこと決めたこととは言え、罪の意識を強く感じ、どうすることで償うことが出来るのか自問自答を繰り返しました。
私の出した答えは「とにかく頑張ろう」でした。これまでの「なんとなく」学校へ行く私と決別し、保育士になるためにしっかり学ぼうと決めたのです。
あの子にかけたかった愛情を、そしてそれ以上の愛情を、これから出会うたくさんの子どもたちにかけたい。
保育士になりたい。
こうして「退学届」は提出しないままとなりました。
END???
<その後の話につづく>